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東海道五十三次の中でも大井川の川越えはやっかいな所でした。
一体どのように川越えをしていたのでしょうか?

江戸幕府が宿場制度を定めて東海道を整備した際に大井川には橋を架けませんでした。
これは有事の際に大井川を天然の堀として使うためです。
初期の頃は比較的自由に川渡しが行われて井いましたが、元禄の時代に川越制度が制定され、料金の統一や川越しの許可などを管理する役人が置かれました。


川を渡るには「川札」と呼ばれるものを川合所で購入します。
値段は川の深さと川幅によって違い
水深が股下の場合は48文、帯の下だと52文、帯上は68文、胸の深さだと78文、
脇までくると94文、それ以上だと川留めになり渡れませんでした。

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大井川の渡しについて
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